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2005/03/31 「とりあえず最終回」
今日で3月も終わりですね。
それはいづしの活動のとりあえずの終了を意味し、このシモムラ日記もとりあえずの最終回を意味する。活動を続けてきた我々メンバーは、向かうべきところがはっきり見えているし結束力もあるし、なんといっても皆心を開いている。だもんで、活動の終了は新たな活動への発展的解散であって乞うご期待ってところなのである。 シモムラ日記は、どこへいくのか分かりません。出版社の目にとまって単行本化され、憧れの文壇デビュー(二年越し)を果たすかもしれない。サラリーマンと作家の二束のわらじを履くことになって、ダ・ヴィンチとかのインタビューで「ボクは、職業的作家にはなれないんです。書きたいことをただ書くだけなんです」とか訳のわからんことを言ったりしたいと妄想はしてます。本当に長続きしない性分で、その割には最後までよく続いたなと我ながら思う。頭の中でもんもんと考えるばかりで、人に伝えるということが非常に苦手なのでそんな意味でもこの日々のことを記す作業は楽しかった。たまに、人から日記の感想なんぞ言われたりしたら、恥ずかしいのだけれど嬉しかったりした。こんなボクでも思っていることを伝えることができたんだって。
自分は常に観る側であって、表現する側ではないと思っていた。でも、世の中は表現したいことがあれば自由に表現してもいいのだと分かった。だいぶ心を開いてきました。
まあ、またどこかで会えるはずなんで、あばよは言いません。そう、これからもよろしくねってことで筆を置く。 |
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2005/03/28 「家族のような」
ついについに、いづしでの活動が終了した。内尾展も終わり、引越し作業もおおかた終わった。
ほとんど荷物の運び出された交流スペースはどこか悲しげでがらんとしている。
イベントの打ち上げ翌日の朝、いづしでぼーっとする機会があった。一年の活動の中で何をやってきたのか少し振り返る。途中、母親の看病のため抜けていたのを除いて、いつもたんたんとそこに居て作業をしていたように思う。自分のポジションがよくわからなくて戸惑った時期もあったけれど、心底楽しいといえる一年間だった。楽しいイベントはたくさんあったが何よりも自分たちのやりたいことを共有できる仲間たちと巡り会えたことが何ものにもかえ難い。
とある人が、「いづしは家族みたいだ」と言った。家族以上に会話もしたし、家族並に信頼し、家族のように悩みを打ち明けた。我らに足りないのは血ぐらいかって思っている。
母親の葬式も終わりいづしに復帰したとき、委員長の荻野くんが「おかえり」と声をかけてくれた。たぶん、家族のような居心地の良さはこの一言から始っているのだろう。 |
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2005/03/23 「卒業だけが理由なんです」
「げげ!第二ボタンが外せねぇ〜」
思うこと感じたことはたくさんあって、日記に記すひまがない。
楽しいこと嬉しいことが多いので、どちらかというと卒業式に女のコに囲まれて第二ボタンをせがまれている気分。
やめろやめろ、押すなって。ボタンは一つしかないんだから。アハハハ。とか言ったりして。
そう、それは幸せな焦り。
うーん、妄想だけで食っていける惑星に行きたい。
そんな気分。 |
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2005/03/17 「U−35」
職場で「日経アーキテクチャー」という建築系の雑誌と「日経コンストラクション」という土木系の雑誌を定期購読している。
専門誌なので内容もなかなかマニアックで面白い。毎号毎号、最新の掘削技術に目を見張り、しびれるようなデザインの建物に顔をほころばせている。
今回のアーキテクチャーでは「U−35 ポストバブル世代」という特集を組んでいた。バブル以降に社会へ出た若い人たちの特集で、最近頭角を表している人たちにスポットをあてていた。40歳代が”若手”と呼ばれる世界で30歳そこそこなんてヒヨッコ扱いされてもしかたないはずなのに、皆なかなかいい感じの勢いがあって興味深く読んだ。勢いといってもヘンな力みもなく、ただ好きなことやってますっていうような雰囲気が近い世代なんだなって思わされたりした。
まだまだ若すぎるくらいの世代なので、そんなに注目される人材が沢山いるわけではない。そのため、編集者の意図もチラチラ見えたりするのだが、元気な同世代を意識するのもいい。
こんなところでヘルメットかぶっている場合じゃない!とか思いつつ、今日もデッキブラシ片手に山へ行く。 |
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2005/03/14 「夢を持つ」
週末に直島へ行ってきた。
学生だったころ毎年夏に島にあるキャンプ場でバイトをしていた。小学生たちとともに一夏をキャンプ場で過ごすというものでボーイスカウトのお兄さんみたいなことをしていた。ただ単に楽しく過ごすというものではなく、子供たちに何を伝え・何を考えてもらいたいかなどと結構真剣に取り組んでいた。一年かけて成長した自分でその夏のキャンプに臨み、課題を抱えて次の一年を過ごす。10年も前の話だが毎年毎年それを繰り返すというそんな4年間を過ごしていた。
久しぶりに当時の仲間で集まった。一晩も過ごせば当事の思いもよみがえってくるもんで、なかなか熱く語りあった。あのころから考えると、島も成長したし自分も成長した。だからこそ、できる何かがあるのじゃないかって。
いつのころからか、夢を持てなくなってしまった。「大人」になって分別もつくようになり、出来ることや出来ないことの区別がつくようになったからだろうか。しかし、夢は叶えるためだけにあるのではないのだろう。持ちつづけること、想い描くことこそ本当は大切なのかもしれない。海を見ながらそんなことも思ったわけです。 |
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2005/03/11 「祝サンキューアートの日」
3月9日はサンキューアートの日ということでいづしでも「いづしサンキューコレクション」というプチ企画を行った。八つ切り画用紙に日頃のサンキューの気持ちを来場者に表現してもらうというものだ。
チープにほんわかをテーマにしたゆるゆるな企画だし、たいして皆も参加してくれないだろうと思っていたのだが案外楽しんでくれたみたいで良かった。
好きなコへの感謝の気持ちを表す人もいれば、家族や仲間たちに向けたもの、誰だかわからないけれど今いることへの感謝の気持ちなど、様々な「サンキュー」を表現してもらって見ている方も正にサンキューってな感じでした。
ふと考えてみるといつからか、中身のないサンキューになってたり、そんなことは当然だなんて思っていたような気がする。もっと素直にサンキューって表現しなければいけませんね。 |
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2005/03/07 「ついに始る!」
いづしでの最後の企画、「内尾展」と「雲わた」がついに始った。
学生たちの言ってた通り、正に怒涛のスケジュール。あんなに脚立を登り下りしたのは初めてですよ。
オープン初日の早朝のこと。
前日から徹夜して、頭が回らなくてボーっとしていると、とあるコがいづしにやって来た。企画に関わっているボランティアも皆、連日深夜まで作業をしていたのでこんなに早く集合するとは思っていなくて少々ビックリ。
よくよく話を聞いてみると、昼過ぎのオープンを待たずして県外へ行くとのこと。携帯の充電器を忘れてしまったのでいづしに取りにきたらしい。電車の時間が迫っているのか足早に去ろうとする彼女に雲わたの展示会場を見ていくように声をかけた。
写真は、まだ焼いている途中のはずで会場には一枚たりとも置かれていない。
朝日がうっすら差し込む階段や廊下に、ゆっくり歩みを進める彼女の足音が響きわたる。並べられた譜面台や廊下に掛けられたランドセルを見て彼女はどんなことを感じただろう。
かつて、結果でしか評価されない現場にいた。努力なんてものは成果の前では何にもならないというようなところだ。何度も要領の悪さを悔やみ、能力の無さに涙を飲んだ。結局のところ、そんなところを放り出してしまい、今の自分があるわけだが、知らぬ間にそんな世の中の仕組みが体に染み付いてしまっていた。
ガムしゃらに迷い、突き進んで行く雲わたのメンバーをみていると、結果でしか物事を判断できないような頭になっていた自分が心狭い人のように思えてきた。
どんなことにも成長の足跡がある。そんな単純なことを改めて感じた。いい歳こいて。
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2005/03/02 「とにかくサンキュー」
幸せな写真を見た。
結婚式のようにあからさまでもないし、初孫が生まれたような喜びがあるわけでもない。
そこにあるのはただただ単純な想いと恐いぐらいまっすぐな眼差しだけである。
しかし、その写真を見たら幸せ気分いっぱいになった。
あなたがいてくれたことにサンキューなのか、その出会いにサンキューなのか。
もしかしたら、この世に生まれたことにサンキューなのかもしれない。
いやいや、ほんとサンキュー、宇津木くん! |
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2005/03/01 「大掃除」
昨晩は、週末から開催されるイベントに向けていづしの校舎内の大掃除をした。
延々つづく廊下を一休さんよろしく雑巾掛けしたり、階段をチマチマ掃いたり、なんだか懐かしい感じ。
一年ごくろうさんって気持ちとあと少しよろしくって気持ちを込めてしっかり磨いたおかげで少しはキレイになったようだ。ここに来るのもあと数えるぐらいかと思うと少々こみ上げてくるものがあった。
テンション高めに動きまわったので、おかげで今日は腕がパンパン。思うように動かない。
おっさんはおっさんらしく椅子に踏ん反り返っておくべきだったのかしらん。
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2005/02/28 「おっさんの気持ち」
どうも最近、おっさん呼ばわりされる。
いづしのメンバーの中では割かし年上に近いグループに入るし、ちょっとしたお約束としておっさん扱いを受けているのかと思っていた。このボクがおっさんだなんてとんでもない!とも思っていた。
しかし、どうやら無意識のうちに言動や行動がおっさん化しているようだ。良かれと思って話していることが冷静に考えてみるとおじさん発言になっている。これはヤバイ。まだ30歳にも満たないのに中身が先行してしまっているのだ。
時の流れに歯向かうわけではないし、歳相応に積み重ねて行けばよいと思ってはいるがやはり若くありたいと思う気持ちはある。
ってことで、タワーレコードでオレンジレンジ買うとするか。 |
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2005/02/25 「どこかでだれかが」
職場でもよいし、その他の組織でもよい。恋人としてでもよいし家族としてでもよいだろう。どこかでだれかに必要とされることは嬉しきことだと思う。自分は一体ナニなんだって考えこんでしまうことがあるけれど、周りの必要としてくれている人々の顔を思い浮かべることで心を落ち着かせることができる。
最近、やっとわかったのだが、自分の楽しいこととは何か目標に向かってとかではなくて、この必要としてくれる人に応えることであるようだ。だからどこへ向かっているなんてことはほんの些細なことで、何よりも「どうやって」とか「どこを通って」とかの方が重要みたいだ。
なんだかんだで目標地点に辿り着き、皆の期待通りに応えつつぬるい雰囲気も一緒にお渡しする。そう、これがオレ流。
いやいや、ぬるくていいじゃん。 |
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2005/02/24 「エビ夫」
今日は、無二の親友オオニシくんと久しぶりにちゃぷちゃぷだべった。3月に待望の子供が生まれる予定で、目下どんな名前にするか頭を悩ませているらしい。夫婦で話し合いに話し合いを重ね、候補を2つまで絞ることができたらしいのだがどちらにするか選べないでいるということだ。あまりに楽しそうに悩んでいたのでなんだか羨ましかった。
自分も名前付けに参加したくなったので、名付け親にならせろと迫ったのだがヘンな名前にさせられるのでと丁重にお断りされた。男のコらしいので、「エビ夫」にしようと思っていたのに・・・。さすが付き合いが長いだけある。全部お見通しでした。
でも、この世には幸せな悩みってのも存在するんですね。 |
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2005/02/23 「楽な生き方」
大切な大切な腕時計が壊れてしまった。時刻を合わせてリューズを納めようとしたら納まらなくなった。
こりゃ困ったということで、すぐに修理に出したのだが原因も不明でいつもどってくるか分からないとのこと。
いやいや、まいった。
いつも物を買うとき、その時の気持ちや想いを重ねて買うようにしている。
その腕時計も例にもれず、かなりの思い入れがあったりする。何気なしに腕につけるだけで当時の悲しさ悔しさがよみがえってくる。考えや想いは書きとめておけばいいのだろうけれども、能力が足らずで言葉がついてこないことが多いし、何より言葉にした瞬間安心して想い自体が消えてなくなってしまいそうだから避けてきた。だから、ついつい物に思いを投影してしまうのである。
外へ向けて表現していないのだから伝えることを放棄していると言われそうだが、それよりも何よりも忘れ去ること気持ちが変わっていくことが怖いのである。
そういうのって、楽な生き方じゃないのだろうなぁって少し思う。
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2005/02/21 「世界へ」
週末に高松で行われた瀬戸内アートネットワークについてのシンポジウムに参加した。色々な分野で活躍されている人たちの意見を興味深く聴いた。テンコ盛り過ぎて腹八分目ぐらいだったが面白かった。
彼らは確実に”世界”へ目を向けていて、途方もないことを企んでいるのだけれど実際やりきってしまいそうなところがすげぇーなと思う。
ってことで、日曜夜の11時台が情熱大陸「孤高の日記職人シモムラ」、世界遺産「瀬戸の島々アートネットワーク」となる日も近いかもしらん。
う〜ん、疲れているほど妄想は広がる広がる。 |
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2005/02/17 「ふんどししめた」
職場でのこと。
隣の席の先輩が奥の部屋へ手招きする。この先輩、筋肉オタクで体を鍛えることを日課とし、もりもり筋肉がついていくのにうっとりしている。西大寺出身なもんだから、裸祭りが近づくと体がうずうずするらしい。
部屋に入るともう一人の筋肉仲間の先輩と神妙な顔つき。
何事かと思いきや、今回初出場するその筋肉仲間のために、いきなりふんどし締め方講座が始まった。もちろんボクちんモデルにして。
アレは一人では締めることができないし、締められてやり方が理解できるものでもない。
人が締められるのをじっくり見るのがよろしいらしい。
されるがままにふんどし締められましたよ。(といっても、服の上からですが)
しっかり締めないと格好悪いし、ハラリなんてことがあると一大事なんでかなりキツく締められる。締め上げられると下腹部がキュッとして背筋がしゃんとした。男たちはコレ締めて、あの渦の中をもんもんとするのかと思うと自分行ったろうかと思いもしたが、やめておく。だってボクちんもやしっ子だから。
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2005/02/14 「バレンタイン」
今日は、バレンタインデーですね。
通学する女子高校生たちは皆、小さい紙袋を抱えていて心なしか嬉しそうにソワソワしていた。
普段は車内に座りこんだり、携帯片手に岡山弁丸出しの大声でしゃべっていて、色気のかけらもない彼女たちが妙に女のコらしく見える。
昨晩いづしでプラプラしていたら、とあるコがチョコをくれた。
どうやら手作りのナッツ入りチョコ。いかした缶缶に入れていて皆に配ってくれていた。美味しかったです、ハイ。軽く否定されたのでどうやらシモムラへの本命チョコではない模様。
通算受領チョコ数が大野さん(女性)より少ないことが判明して「そこいら辺のへたな男」呼ばわりされましたが「数じゃねぇーよ質だよ質!」ってなことを松本作の義理もしくは練習チョコをほおばりながら思ったのであります。 |
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2005/02/13 「修学旅行」
建国記念日にいづしのメンバー達と京都へ修学旅行へ行ってきた。
目的は、京都芸術センターの視察とヨーロッパ企画という劇団の公演を観に行くことだった。
そもそも、旅は一人が一番と思い込んでいて団体旅行なんて修学旅行ぐらいしかしたことがなかった。
しかし、しかしである、総勢7人(自分以外はみな女性)の旅は面白かったです。この一年、いづしの活動を通じて仲が良くなった人たちなんで気心が知れていたし、過ごす時間が長い分新たな一面も覗けたりして団体旅行もまんざらでもないですね。
昼の京料理も絶品!芸術センターもウワサ通りのなかなかのもの。ヨーロッパ企画も腹の底から笑ったし。まことにナイスな旅でした。
タイムスケジュールもぴったりで、あたくしが女なら幹事に惚れるね。まったく。 |
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2005/02/10 「鯵の味」
今日は、晩メシ食いにサラリーマン食堂へ行く。
2,3日前から風邪気味で、どうも味覚がなくなってしまった。何を食っても少し酸っぱい味がするのだ。
本日の日替わり定食は鯵のフライだった。
味覚がおかしいので食欲もなかったのだがおいしくいただきました。
外見はサクッと揚げられて、中身はジューシー。レモン風味のタルタルソースも酸味しか感じない口にグーでした。大根葉の入った味噌汁とか、ほくほくの白メシとか何でもないタクアンとか、食ってるうちになんだかこみ上げるものがあって涙が出そうになった。思わず「親父ぃ〜このフライうめぇーよ」って叫んで肩をバンバン叩きたくなるのをじっとこらえ、代金の600円をテーブルの上に置いて店を出た。
う〜ん、最近ちょっと疲れ気味なのかしらん。
明日はいづしの修学旅行だし、早く寝よーっと。 |
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2005/02/07 「過去に投げキッス」
自分の部屋に置いてある置き時計が止まってしまった。
手のひらぐらいのサイズで文字盤のところに夜空と星座が描かれているものだ。電池を新しいのに替えたのだがピクリともしない。この時計は、中学生だったころ好きなコから誕生日プレゼントでもらったものである。以来、ずっと自分の部屋に置きっぱなしであった。そりゃ、15年間も使っているのだから壊れてしまってもむりはない。
初恋の思い出なんて心の片隅に追いやってしまって、すっかり忘れてしまっていた。実は、そんな思い出たちが今の自分を作っているわけで、それら抜きに今の自分を語ることはできない。
とはいえ、出会えてサンキューとかいって軽く投げキッスするぐらいならできるが、それだけでしかないのである。引き出しの奥に入れて、たまに何かの拍子に眺めればいいぐらいのものなのである。本当に大切なのは、目の前に誰がいて、その向こうに何が待っているのかってことなのだろう。
人の気持ちが変わろうとも何ら変わることなく時を刻みつづけてきた時計。お疲れさんでした。 |
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2005/02/04 「節分」
昨日は節分でした。
いづしで会議に参加したのですが、いづしの4番バッター高林くんが赤鬼のお面を作っていた。(というより、作らせたのだが)これがなかなかいかした出来で、リアル赤鬼がやってきたって感じ。
黙々とお面をつくる様に大笑いし、それを被った様に大笑い。
厚紙の裏に、黒と赤の鉛筆だけで作っただけもものなのに、何がそんなにおかしかったのだろう。
追い払うべき悪疫は今の自分にはないのではと思うくらい幸せ感じた節分でした。 |
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2005/02/03 「知ることの悦び」
無知なる海を永遠に漕ぎ進むしかないのである。
昨日は、水曜文化懇話会で日高奉文さんのお話を聞いた。いい意味で予想ダニしない話だったがそれはそれで興味深い話ばかりだった。その後、打ち上げに参加したのだが第2部開始といった感じでこちらでの話も面白かった。
外国へ行って初めて日本を意識したということ、それらは彼らの世代にも起因しているらしいということ。自分たちは自由な時代に生まれてきたと思っていたが、実は不自由な枠の中でしか生きていないということ。
懇話会の事前の打ち合わせで、この時代に生まれ育ってきたということを最近考えているんだとおっしゃってた意味が少しだけ分かったような気がした。
酒を飲みながらのヨタ話ばかりでしたが、よい刺激になった。
スピリチュアルなこととかアイデェンティティのことなどあまり考えることがないのでこれを機会に少し思いをめぐらせるのもいいのかもしれない。
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2005/02/02 「侘び」
誠意って何だろうね。
かぼちゃをならべて済む問題じゃありません。
仕事でちょいとヘマをしてしまい、相手の機嫌を損なってしまった。後になってそんなことが判明したので急いで侘びにいく。こう見えて謝るのがめっぽう下手くそだ。決して、横柄でもないし口の訊き方だってそれなりに知っている。ただ、心から反省していないのだ。だから、ついつい口先だけで謝って、後になってもっとこんな風に言えば伝わったのにとか思ってしまう。
いやいや、今日のは違ったね。心から誠心誠意謝りたおしてきました。
幸い先方さんも機嫌を直してくれて、笑顔で別れてきたのだけれどたるみ気味の生活に少し喝が入った気分でした。 |
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2005/01/28 「いづしダンボールハウス」
昨日は、いづしで倉岡さんのイベントがあった。「猫の集会」ということで小さな猫のオブジェがところ狭しと並べられたり、いつもの交流スペースがダンボールに覆われてステネコ気分になれたりといつもと違う雰囲気にアーティストの力を感じた。
なんだかワクワクしつつ、ほどよい暖かさと訳のわからん懐かしさで和みっぱなしでした。
スライドトークの話の中で、”基地遊びのような”という言葉があった。多分、訳のわからん懐かしさってそこからきていたのだろう。
子供のころ、近所は機織り屋さんばかりでダンボールはそこいら中にあった。友人たちと自転車の荷台にたくさんのダンボールを積んで、山へ持っていき基地を作って遊んだものだ。道中にある駄菓子屋でお菓子を買ったり、銀玉鉄砲を買い込んで戦争ごっことかして遊び呆けていた。もちろん、地球滅亡の話とかしましたね。
いづしダンボールハウスはなかなか好評だったので期間延長みたいです。
久しぶりに訪れても驚かないでください。ちゃんと家賃は払ってますから。 |
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2005/01/27 「世の仕組み」
電車通勤を始めて2年ほど経つ。冬のこの時期は、電車を待つホームで日の出を見ることができる。
地元の人にくじら島と呼ばれている島の辺りからゆっくりと朝日が上がっていく。いつもより一回り大きく、そしていやに暖かく見える。ふと振り返ると、この街には似つかわしい高層マンションのベランダの手摺をほのかにオレンジ色に照らしていた。きれいだなと思いつつ、しばしぼーっとした。
最近、頭で考えていることは活字的なことばかりでこんな風に情景に目をやることが少なかったように思える。
今日は、高校受験があるらしく、ホームは中学生でごったがえしていた。学ランの襟元からのぞくカッターシャツがやけに眩しい。普段はそんな格好しないので、着ているほうも落ち着かない様子だ。試験官も誰もそんなところへ目をやるわけではないし、それが合否を左右するわけでもないのに。
いやいや、合格したいという気持ちがそこに表れているのかもしれない。やる気は表にも出てくるってことだろう。それが世の中の仕組みである。
見た目だけでは恋には落ちない。そう、そんな感じ。 |
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2005/01/24 「血」
週末に父親と買い物に行く。
父とは仲が悪いわけではないが、いままで買い物に一緒に行くことなんてなかった。
かろうじて憶えているのは、子供のころおもちゃ屋でミニカーを買ってもらったぐらいではないだろうか。
父がどうしても欲しいものがあるので、と誘われるままについていったのだけれども、買い方が自分そっくりでおののいた。
商品たちを前に、あれやこれやと悩んで、店員に聞きたいことは洗いざらい尋ね、そして、ごくごく控えめな値切り。だんだん、それらが面倒になり潔いとも言える決断。でも、じつのところどれを買うかは前の日の夜に布団の中で決めていて、店に入ったときから他の商品なんぞ目に入ってなかったのである。
父のそんなプロセスを見ていたら、目の前であれやこれや悩んでいるのが自分に見えきて、血は争えんとつくづく思った。
高いおもちゃ買ってルンルンなとこまでそっくりで、そんな姿を見ていたら、今度から自分の買い物を手放しで喜べなくなりそうである。
なんと言っても、「血」の面白さってこういうところにあるのだろうなと感じないわけにはいかない週末だった。
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2005/01/18 「涙の意味」
こう見えて涙もろい。
映画とかドラマとか見ていて泣き出すと止まらなくなる。そんなときはティシュボックスを手放せない。
瀬尾まいこ「図書館の神様」を読む。
バレーボールに打ち込んでいた主人公は、ある事件をきっかけにバレーをすっぱり止めてしまう。以来、投げやりに人生を送っている。なんとなく高校の国語講師になり、なぜか文芸部の顧問になってしまう。唯一の部員・垣内くんに出会うところから話が始まる。
穏やかに話しは展開していくのだけれど、停滞感もなくほどよいスピード感があって読みやすかった。
周りの人たちが関わりあいながら少しづつ成長していく様がジーンときてしまった。
最後は、ボロボロ泣いてしまった。
涙の意味なんてよくわからいのだけれど、でもいい涙だった。集めて海に流せば世界が平和になるんじゃないかって思うぐらい幸せな涙だった。
寒い夜に布団が少しだけ暖かくなった。 |
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2005/01/17 「モデル」
週末に写真撮影のモデルをした。
身なりは平均点ぐらいかなと思い込んでいるので、少々恥ずかしかった。何といっても照れ屋さんなんで。でもかなり楽しかった。「にゃー!」って言えって言われてもねぇ・・・。
ウダウダ話からあれよあれよと話がふくらんでいったのだが、あんな風な勢いというか流れみたいなのも久しぶりで面白かった。
カメラの前に立ってわかったのだが、自分はモデル向きではないということ。
(今さらそんなことに気付くなと言われそうだが)
金輪際、カメラの前には立ちません、前撮り以外は。
生きていくうちにどんどん道が狭まっていくものだけれど、それが寂しいと思う時期もあった。けれども、実は向かうべき道が見えてきているということでもあって、本当は喜ばしいことなのだと思えるようになった。
と、いっても目の前にはまだまだたくさんの道があって、どこへ進めばいいのやらって感じなのですがね。 |
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2005/01/14 「約30の嘘」
映画「約30の嘘」を観に行く。
出演者それぞれは、私たちが思い描いているような性格の人物を演じていて、それは演じるというより素で出演しているのではと思わせるぐらいの演技で、キャストは最高に良かったと思う。映画の内容はまあまあ面白かった。クレージーケンバンドの音楽もかっくよかったし。
それにしても椎名桔平はいい!!
いいなあと思える数少ない男優である。ドラマ「スイートシーズン」でも釘付けになっていたけれど、やはり釘付けでした。見てくれはたいしたことないのに、何なんでしょうねアレは。
そりゃ、オイラもあんなセリフ言ってみたいさ。中谷美紀とか相手に。
ダメダメで、可愛いらしくて、それでいてかっこいい。
多分、彼の右に出るのは世の中探してもニコラス・ケイジぐらいしかおらんでしょうね。
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2005/01/11 「そういえば誕生日じゃん」
週末に猪熊弦一郎美術館でやっている剣持勇の展覧会へいく。
柏戸椅子の実物があるとウワサを聞いていたので楽しみに行ったのだけれど、すでに先約が。
インテリアについては、an・anとMOREと街中のカフェでしっかりチェックしてますわ。っていうような小娘がちょこんと座って昼寝をしているではないか。おいおい、気分は横綱級かよ!と思いつつじっと我慢して席が空くのを待つ。
念願かなって座したのだが、何分人間の器が小さいのですっぽり収まってしまった。
孫悟空がお釈迦さまの手のひらで遊ばれているような感じ。
座り心地の良い椅子はあるけれど、そんなものとは少し違ういい気分。デザインするということについてしばし考えていると、眠くなってしまった。でも本当にいい椅子でした。
展示は、ものすごくスンバらしく興味深いものでした。少々テンコ盛り感は否めなかったけれども、どれ一つとっても全く色あせていないデザインで、それらには普遍性すら感じてしまう。見れば見るほどワクワクしてしまう物ばかりでした。
何よりも、当時の製品の図面が飾られており、デザイナーの息遣いが伝わってくるようでシビレましたね。
やっぱ、手を動かして物事を考えないといけませんね、シビレる仕事するには。
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2005/01/05 「何から伝えればよいのやら」
伝えるべきことは山ほどあって、でも言葉が追いつかない。
まさに小田和正状態。
言葉がだめなら、やっぱ手品しかねぇな。
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2005/01/04 「あけましておめでとうございます」
皆様、あけましておめでとうございます。
昨年同様、今年もよろしくお読みくださいまし。
今年の目標は、「平凡な幸せ」です。
パッとしないが、でも確実。案外それが幸せの近道だったりするんですよね。だからこそ与ることのできる安心感もあるのではっていう下心。まあ、そんな感じで一年やっていきますのでよろしくお願いします。
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2004/12/29 「神に感謝、ヒデキ感激」
今日は、倉敷でランチをした。
天性の間の悪さのため、お目当ての店は休業。第2希望の定食屋さんもお休み。少々不本意ながら、美味しいと評判の「収穫月」へ行く。
混雑しているのを覚悟で行ったのだが、割かしすいていてゆっくりできた。
まずは、きゃべつとベーコンのスープ。やや濃い味だったが少量のため口が起きた感じ。さあ、食べるよんって気にさせられた。で、前菜のサラダ。サーモンとタマネギのフレンチドレッシング風。春を思わせるようなさわやかな味。イヤが上でも気持ちが盛り上がる。続いて、自家製手打ちパスタ。今日は、エリンギのミートソース。これは、しっかりとした味で、味と作り手の気持ちが体の芯に届くような暖かみがある。パスタは、もう最高!自家製のパン(詳しくないので種類がよくわからん)も絶品ッス。最後は、デザートにマッキアート。午後のひと時を大満喫。
単純に美味しい料理は「記憶に残る味」だと思っている。ふとした瞬間に、あれ食いたいと思い出すような味だ。本日のランチは決してそういった類の味ではない。でも、店の雰囲気・タイミング・会話・心遣い、どれをとっても申し分なく、「楽しい食事」のための要素が全てそろっていたように思える。
楽しい食事を過ごせたことを神に感謝したいぐらいである。アーメン。 |
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2004/12/28 「仕事納め」
今日で今年の仕事は終わりである。なんだか早かったです、この一年。
よく、20代は転がるように終わってしまうよなんて耳にするのだが、ほんとそんな感じだった。
うぉー、転がってんじゃんボク。とか言いながら時間が過ぎてしまった。
よくよくこの一年を振り返ってみると、まあ1勝3敗ってとこですかね。負けるべくして負けて、たまたま勝ってしまったような具合だった。
いやいや、まてよ。今日は、まだ始まったばかりだし、今年はあと4日も残っている。しかも30歳までまだ一年あるじゃんか。勝負を投げ出すにはまだ早いのではないか。
ってことで、残り少し空回り3割増しでぐあんばりまっす!
勇気、よろしく。 |
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2004/12/27 「クリスマスイヴ」
「サンタだ、サンタだ、サンタは本当にいたんだ!」
まさに、ラピュタを見つけたパズーのような気分。
クリスマスは寂しいメンバー達がワラワラと交流スペースに集まってウダウダとした。肉があって、シチューがあって、ポテトサラダがあってと理想の夕食。で、ドラえもんドンジャラにラーメンズのDVDにと大いに盛り上がって、さながらクリスマス会のような楽しさでした。しかも、日頃の行いが良かったのかサンタさんも参加してくれた。お目当てのラジコンは貰えなかったがリアルな白い眉毛に大満足。
クリスマスなんて、良い子かいちゃいちゃカップル達だけのものかと思っていたけれど楽しみたい人たち全てのための日だという、当たり前なことを心から感じました。
サンキューマリアってな感じ。
知ってました?サンタさんはタバコも吸うし、カラオケ熱唱するんですよ。
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2004/12/19 「それでも生きる」
昨日はちょっとヘビーな一日だった。
このモヤモヤをこの日記にぶつけようかどうか未だ迷っているのだが書き始めてみるとする。
ちょっと事情があって、数ヶ月に一度幸せ家族にたくさん接する機会がある。昨日もそれがあったのだけれど、ほんのちょっと前は幸せいっぱいだった人が昨日は悲しみにくれていた。幸せそうでいいなぁなんて羨ましくみていた人だったので、何も声をかけてあげることができなかった。
それらのことから何を感じたのかうまく言葉にできないでいる。
何か教訓めいたことを思ったのだろうか。
人間万事塞翁が馬的なことでもないし、一生の内での幸せの分量は皆一緒なんだ的発想でもない。
分かったことは、それでも生きていくしかないということである。
ずいぶん前だけれど、とある女の子に夜の海で「生きていくのって辛いのよ」って言われたことがある。
当時は丸刈りの中学生並みに若かったので意味がわからんかったが、ようやく理解した気分。 |
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2004/12/17 「橋を架ける」
岡山の郊外を流れる川に橋を架ける工事をしているところがある。
古い橋の横に新設していて、スライド工法と呼ばれるやり方で造られている。
片側の岸で切った一切れのようかんのような橋の一部を繋げ,、対岸に向けて少しだけスライドさせる。これを何度も繰り返し、橋を伸ばして対岸に架けるっていうスンポウだ。
そもそも橋は、真ん中のあたりが少しだけ上に反った形になっている。だから、弧を描くように対岸に少しづつ伸びる様は非常にきれいで、構造物オタクなものだからついつい見とれてしまっていた。
今朝、横を通るとその橋がついに対岸に辿りついていた。200mほどの長さなんで、特別長い橋でもないのだけれど、多分現場の人々はプロジェクトX並の感慨深いものがあったのだろう。密かに見とれていたこちらも少しジーンときてしまった。
そういえば、いづしの活動も橋を架けるようなものだと思う。ようかんの一切れ一切れを繋げていくように企画をしたり、人と人をつなげたり。ほんのちょっとのことではあるけれど、でも確実に対岸に向かって伸びている。対岸に何があるのか、あとどれくらいなのか、どんな人が待っているのか、わからないことばかりであるが確実に”向こう側”に近づいているのであろう。
万事うまくいったあかつきには、中島みゆきと田口トモロヲに大いに盛り上げてもらいたいものである。 |
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2004/12/16 「怪しい薬」
ずいぶん長い間風気味である。
ノドがイガイガして調子がいまひとつなのである。
そこで医者に行けばよいものの、竹内結子に近づきたいがためルルで済まそうとしていた。
想いが届かないためか、虚弱体質からか、なかなか治らないので困っていたら、薬に詳しい人がよく効く薬情報をくれた。
早速、薬局で購入したのだけれどこれがまた怪しい薬なんで飲むのに少々躊躇してしまった。どうやら漢方薬で中国製のよう。今どきそんな言葉使いしねぇーよっていう感じの妙に丁寧な日本語で説明書きされている。「水でお溶かしになっての上、お飲みになってください」みたいな。
勇気を振り絞って昨夜飲んだのだけれど、なんとなくノドの痛みは引いてきたみたいだ。
そのかわり、粘性の低いトロトロ鼻水がでてくるようになって、今日は朝から一日鼻をかんでいる。
湖沼の底の水みたいな味も結構病みつきになりそうですし、もう少しがんばって飲み続けてみることにしようと思う。
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2004/12/15 「悪い夢」
昨晩は悪い夢を見た。
何だか悪い女にストーキングされて、それが陰湿なやり方ではなくて、鉄の棒で殴られそうになったりと非常に直接的で分かりやすい嫌がらせで、それはさながら恐怖映画並だった。
玄関の前に居るみたいなんで、ポストからそっと覗こうとした瞬間先の尖った木の枝が眼に飛び込んできたところで目が覚めた。
まだ起きるのには早い時間だったけれども、嫌な感触が残っていて眠ることができなかった。とはいえ、うつろうつろしていたのだけれど、加湿器の水がなくなってブザーが鳴るわ、訳のわからん時間に目覚ましが鳴るわで非常に不愉快な朝の一時だった。普段はあまり夢なんてみないのにどうしたことかしらん。
これもあの女の仕業なのだろうか。
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2004/12/12 「がっつり楽しんだ」
今日は音楽三昧な一日でした。
昼過ぎからいづしで、フラウト・トラヴェルソとテオルブという古楽器の演奏会&レクチャー。
本当に繊細で柔らかな音色はなかなかステキだった。普段、絶対に耳にすることのないような音でしたし、何よりも演奏する方々の話が聞けたのも本当に興味深く面白かった。いつもは、街の喧騒でうるさいイメージのあった教室も演奏が始まると集中しているのかメロディがすんなり体に入ってきた感じだった。
なかなかマニアックな世界かもしれないがその道を究めようとしている人々の姿というのは非常に刺激になる。
夜は、ヂ・ライフランドリーというバンドのライブに行く。
実は、数年前に何度か観たことがあって、非常に面白かったのでもう一度行きたいなんて思っていたのだがそれ以来ライブの情報があまりはいってこなくて、もう解散したのかしらんなんて思っていた。
偶然というのはよくあるもので、職場の近くにナイスなおにぎり屋さんがあって、たまに買うのだけれど、そこにライブのフライヤーがあって、よくよく話を聞くと店のお兄さんもメンバーっていうじゃありませんか。
ライブハウスであんなに笑ったのは初めてです。
とにかく面白かった。多分、明日は筋肉痛なのだろうけれども、そんなことお構いなしだろう。
昼も夜も、おたまじゃくしを追いかける表現だったのだけれどもどちらも好対照で久しぶりに日曜日を大満喫って感じでした。
ヨーロッパ企画ではないけれど、楽器やっときゃ良かったって心底思わされました。
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2004/12/08 「イルミネーション」
近所の家の話。
年の瀬も近づいてき、街も浮かれ気味。あちこちの庭先で木に掛けたイルミネーションがチカチカしている。
その近所の家も例によって電飾をチカチカ。
が、これがなんともいけていない。
ダサいのである。痛い痛しいのである。
元々、人の好みとかセンスには寛大な方で、あんなものは自分に近いか遠いかの話であって、良い・悪いの話ではないと思っている。
しかし、しかしである。あれは、まっこと趣味が悪い。サンタも裸足で逃げるぜ級である。
キレイだったとかかっちょいいとかならどうにかして表現しようとするのだが、そんなやる気さえそがれるくらいにださださしい。
多分、これから毎日その家の前を通るたびにほくそ笑むのだろうけれど、クリスマスが終わって片付けられると少々寂しくなってしまうのだろうなあ。
気になる方は、田の口7丁目へ来られたし。必見です。
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2004/12/07 「結婚式」
週末に同僚の結婚式に出席した。
もう何度も出席したし、自分のことがままならんのに出席するヒマあるかいや!と招待されたときにはついつい思ってしまうのだけれど、コンパと同じで行けば行ったで楽しんでしまうのだから不思議なものである。
いつもはダラーっとやる気のない同僚もさすがにしゃんとしていて、少々男前だった。
そういうギャップがいいとかいうのではなくて、大きな節目を迎え人が変わる様ってのはそれが誰であれほほ笑ましいと思う。
自分自身いつでもしゃんとできるぜと思い込んでいるし、小学校の頃は通知表に「能ある鷹は爪隠すですね」と書かれていたぐらいだからまんざらではないだろうが、果たして来るべきときが来たときしっかりやれるのか少々不安である。
さすがに行き慣れていて、泣き所もしっかり押えて涙してきた。信じられんくらいの大雨でしたが、なかなか良い式でしたよ。
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2004/12/03 「古い写真」
「私の過去、見る勇気ある?」 ナカバヤシフエルアルバム
ちょっと用事があって古い写真を見返すことがあった。
学生の頃、元カメラ小僧の父親が大切にしていた一眼レフのカメラを借りこんでたくさん写真を撮っていた。
と、いってもスナップ写真ばかりで、アングルがとか露出がなどとこだわって撮っていたわけではない。とにかくどこへ行くにも重いカメラを下げて撮りまくっていた。何も考えずに感覚でシャッターを切るもんだから、ピンぼけのひどい写真や何を撮ったかわからない写真などほとんどが”使えない”ものたちばかりである。
元々、整理下手なんで当時撮りためた写真はネガと一緒に袋にまとめておかきの缶に放りこんでいる。撮った時期も上手いヘタも関係なくまとめているだけなんで、10年ぶりくらいに見たらかなり面白かった。
記憶にない酔っ払った写真とか変な髪形の写真。その頃好きだった女のコたち。
当然、写真の中の人々は若く生き生きしている。
ゴソゴソやりだすと、ついつい見入ってしまいしばらく感慨にふけってしまった。
思えば遠くへ来たもんだって。
結局、お目当ての写真は数点見つからず残念でしたがステキな時間を過ごせたように思う。 |
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2004/12/01 「時の流れに身を任せ」
久しぶりにCDを買いました。
土岐麻子「STANDARDS on the sofa」
彼女は今はもう解散してしまったバンドCymbalsのボーカルでした。ライブを一度だけ観にいったことがあるのですが、可愛らしくて可愛らしくてステージ上の姿にたちまち恋に落ちたものでした。
ジャズを歌うという前回に引き続きのコンセプトでのソロアルバム。透き通る伸びやかな声は相変わらずでした。耳に心地よく、正に部屋でまどろみながらって感じでしたね。
うーん、久々のあたりかも。かわいいというだけで3割増しになるのは当然だけれど、だけじゃないです。中身も良かったです。ジャズに詳しいわけではないのですが、耳にしたことある曲も多くついつい一緒になって鼻歌歌ってました。
もはや、元Cymbalsの〜なんていわれ方しなくなって、一人のシンガーとして語られていくのかと思うと少々寂しいものがあったりしますね。
例えば今から10年前の記憶なんてかなり鮮明で、それは中学生の頃に憶えていた10年前の記憶とはあきらかに重みというか濃さが全く違っていて、だからこそ余計に10年前と違う!と時の流れを意識せざるを得ないことが多くなってきたように思える。
ついこないだまでは、早く大人になりたいと思っていたのに、歳をとるのも何だか寂しいような気がしてきた。いつまでもこのままでいたいのですって駄々こねたい気分。
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2004/11/29 「伝えることと伝わること」
「君の歌声は世界の街角で朝になる」
週末に友部正人のライブのお手伝いをする。
お客さんが観にきてくれるかしらんという心配もよそに、結構たくさんの人達が集まってくれた。
後ろの方からではあったが友部さんの歌をゆっくり聴くことができた。
良かった〜。これまたホントに。廊下の隅で聴きながら少し泣きそうになった。
正直、上手な歌い方ではないかもしれない。でも、味があるというか何というか、心にずっしりと伝わる歌声で、しかも、生きるということだったり愛するということだったりと歌に込められたメッセージも一緒に伝わってきた。
普段聞いている音楽たちがとても薄っぺらいものに思えたし、正にこれがフォークだぜいぃという感じだった。
本当に良い時間を過ごせました。
想いを伝えるということそしてそれらが伝わるということについて、最近よく考えている。
うまく言えないのだけれども、伝えたいという想いがあって表現になる、想いが伝わった瞬間、感動となり楽しさとなるのだと思う。
「表現できることの素晴らしさ、感動することの大切さ」
自分がいづしを通して感じたいことはそんなことなのかもしれない。
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2004/11/26 「潤い欲しいです」
どうも今日は調子が悪い。
食べたものが次から次へと自然に帰っていくじゃありませんか。落ち着いて仕事もできやせん。
せっかくやる気マンマンなのに・・・。あー、残念残念。
数日前から風邪気味で、経験からいうと治りかけの症状のようです。ケガなんてツバつけて寝ておりゃ治るっしょ派なんですが、年々治りが悪くなっているような気が。やはり歳のせいかしらん。
お肌も心も乾いていますしね。
求ム!潤い情報ですな。 |
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2004/11/25 「宮沢りえが熱い!」
さっきまで仕事をさぼって映画を観に行っていた。
「父と暮らせば」を観る。
最近、どこやかしこで宮沢りえがいい!という話を聞く。個人的には伊右衛門茶のあたりからいいじゃんって思っていたのだが。伊右衛門さん、手ぇ〜とかいうやつぐらいから。
恥ずかしながら、28歳男子普通の日の昼間から映画館で号泣しました。
いやー、良かったです。誠に。
物語の底にはすごく重いテーマが流れているのだけれども、そこを宮沢りえ・原田芳雄のバリ広島弁演技がソフトにカバーしていて、で、要所要所で登場する浅野忠信が良い感じに絡んでおり、いやー本当に映画って素晴らしいねってな感じだった。
いつの時代も男は女のハンケチに弱いってことです。
まあ、機会があればぜひぜひ観てみてください。
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2004/11/23 「天職」
例えばの話、出会うべくして出会い結ばれるような人が世界のどこかに必ずいると思っているように、それになるべくして生まれてきたのだろうというぐらいその人にぴったりな職があると思っている。
そう、天職っていうやつです。
夏頃に姉が家を建てた。何でも自分でやりたがるのが我が一族の悪いところで、新築祝いにと兄と私とで玄関までの7mほどのアプローチを作ってあげることにした。花壇とか石畳とかで。
昔取ったキネヅカばりにサクサクっと図面を描いて作業に取り掛かったのが数ヶ月前。本日やっとこさ完成しました。日が暮れても土をいじっていたので一体どんな風になったのか未だわからずじまいですが、多分想像通りのスンバらしい出来のはずです。いやホント。もはや週末ガーデニングの域を軽く超え、ちょっとした造園屋さんはいけるのではと思うぐらい。写真撮ったらUPします。
しかし、作業している間は本当に楽しかった。目が生き生きしておりましたね。
農業こそオイラの天職だとかほざいて灘崎あたりでなすびを作る気マンマンだった時期もありましたが、もしかしたら造園こそ天職かもしれんです。
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2004/11/21 「うまく投げる」
最近、もみあげは順調に伸びてきているのだがその他がイマイチうまくいかない。
どうも上手いこと玉を投げられんようになってしまっている。
なぜだろう?
自称・宮沢りえという女とメシを食いに行ったからか
それとも、疲れている女をおぶったからか
いや、恋愛で浮かれている女を焦らせてしまったからか
もしかしたら、ドラえもんの声が代わってしまうことに関係しているからかもしれない。
まだまだ肩は上がるはずである。
こんなところで立ちすくむわけにはいかんのである。
そう思い悩むことはないのであろう。
おもむろに振りかぶって、ミット目掛けて投げるだけなのだ。
飛んでけ、ボクの過ち!って。
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2004/11/16 「スペクタクル」
昨日は、明日からいづしでも行われる「スペクタクル 能勢伊勢雄」の会場設営を手伝った。
いづしでは、LPジャケットの展示と映像が流されるのだけれど、なかなかマニアックな感じでよい雰囲気になってました。いづしのスペースは、企画によっていろんな表情をみせるのでなんだか女のコにだまかされているような気分にさせられます。どれが本当のオマエなんだよ!ってな具合。
今回の展覧会では岡山と倉敷のいろんな会場でいろんな企画が催されることになっています。ウワサでは、倉敷市立美術館とかテトラへドンとか他の会場もすごいことになっているみたいです。
もともと日付にはめっぽう弱いので、いつどこでどんなイベントがあるのかほとんど理解しておらず、うまく説明できんのですが、とにかく興味ある方は能勢ワールドにぜひぜひ。 |
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2004/11/15 「岡山と大阪」
全国3千万のシモムラ日記ファンのみなさま、お久しぶりです。
先週は大阪でかなりマニアックな技術を習得しておりました。もし、カルトQのテーマがダクタイル鋳鉄管なら出場できるくらいの自信はありますね。おかげ様で。
生まれも育ちも倉敷の片田舎で、大学も広島の山奥だったため都会に一週間も滞在したのは初めてでした。
いやー、すごいね大阪は。毎夜毎夜遊びたおしてきましたよ。
映画に展覧会に演劇、そんでもってありえない人のライブまで。
その中でも特に興味深かったのが、燐光群という劇団の演劇でした。
題材が冤罪を問うものでかなり硬派なものでしたが上演された場所がこれまた良かった。
梅田の繁華街に精華小学校という出石と同じように数年前に廃校になった学校があって、その体育館を改修して小劇場にしているというものでした。
公演初日ということもあって関係者も多く来場していたのですが、その他近所の人らしき人たちや若い人たちもたくさん観にきており、演劇に対する層の厚さみたいなものを感じざるをえなかったです。
大阪と岡山なので文化に対する考え方やアプローチのやり方は全く違うと思うのでしょうが、何か残したい・良いものを伝えていきたいなど底に流れる想いは同じなのだと感じました。 |
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2004/11/07 「血族」
今日は、我らが一族のカリスマ夫妻、森上岩男・アヤメ(祖父母)の法事があった。
朝から晩まで必死に働き、困っている人がいれば助けに行き、とにかく皆から慕われる夫婦であったらしい。
なかなか一同に会する機会もないため、本日の法事は大宴会へとあっという間に様変わりしてしまった。にぎやかな人たちばかりなのでとにかく楽しかった。
ふと、この人たちと同じ血が流れているのかと思うと頼もしくもあり、少々怖い気もした。
だって、わたくし無口でおとなしい青年なんですもん。
お気に入りに追加して楽しみに待っている方々には申し訳ないのですが、来週は出張のためシモムラ日記はお休みです。
再び会える日を楽しみにしておいてくださいな。
では、アディオス バイチュー!(委員長風に)
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2004/11/05 「言いたい」
電車を待つホームの列の前のおじさん。
中日ドラゴンズのキャップをかぶって競馬新聞でも読んでいるような風采。文庫本を片手にだらっと立ちすくんでいる。よく見ると、手にしているのは吉本ばななの悲しい予感。
「おじさん、小説の中では何にでもなれるのだからスゴイよね」
電車のシートに座り前を見ると英米文学科らしき女子学生。
蛍光ペン片手に英語の教科書を必死に読んでいる。よく見ると次から次へとアンダーラインを引いている。そのうち教科書は真っ黄色。
「お嬢ちゃん、世の中に大切なことってほんの少しなんだよ」
車内が込みあってきた。毎朝電車通学している小学生。
友達たちと宝くじについて話している。よく聞いていると確率論にまで発展している。
小学生なりにああでもないこうでもないと必死に考えている。
「坊ちゃん、あれは夢を買うものだよ。知恵しぼる前に夢を持てよな」
言いたいことを口にできないのはツライものです。 |
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2004/11/01 「素晴らしきアートの力」
週末に倉敷の駅前アーケードで行われている倉敷フォトミュラルを見に行く。これは写真の公募展で、選ばれた作品は大きくプリントされてアーケードに飾られるという企画だ。
土曜日はオープニングで、審査員の飯沢耕太郎氏による作品の講評会も行われた。
自分が作品を観るときはだいたい観た瞬間何かを感じているのだけれども、それをちゃんと言葉にしたりまとめたりすることは少ない。何となく感じて、ふーんとかほほーうとか思って終わりである。
だもんで、今回のように飯沢さんが感じたままの話を聴くのはものすごく面白かった。彼はプロであるから、プロとしての作品の質に関するものもあったり、ごくごく単純に感性であるところの話であったりと今まで自分が言葉にしてこなかった感覚を次々とうまく表現しているところが悔しくもあった。
あいにくの雨模様だったけれども商店街に作品が並んでいる様はとても華やかであった。
普段の駅前商店街なんて、ああさびれているなあなんて思いがちなのだけれど作品が飾られてあるだけで、行き交う人々は楽しそうに見えるし、いつもの店は活気溢れんばかりに見える。
アートの力ってこういうことなんだなと感じざるを得ない一日でした。 |
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2004/10/29 「リカちゃん考」
某高校が創立記念に製作した制服を着たリカちゃん人形を入手する。
念のために断っておくが、人形に深い思い入れがあるわけではないし、危ない妄想のために買ったわけでもない。神に誓って。ホントですから。
ただ、ちょっと制服に興味があるだけなんです。
制服の仕上げが少し乱雑なところがあるものの、よく出来ている。見れば見るほど愛くるしく思えてきてしまうから困ったものである。
もう少し、手先が器用なら他の高校の制服もつくって着せ替えたいぐらいである。
それにしても、その学校の同窓会も粋なことをするものである。自分も母校から記念碑建てるから寄付を、とかいって葉書が送られてくるが今までそんなもののために身銭を切ったことがない。これが記念碑ではなくリカちゃん人形を作るなら喜んで寄付するだろうに。
割にモノに対して執着がある方なので、何か形に残るということは非常に大切なことだと思っている。しかし、何でもかんでも残ればいいというわけではないし、好きとか嫌いとかいった個人の好みの話で語ってもしかたがない。それらにどんな想いが込められているのかが大切だし、個人的にはそういうところにある種の”面白さ”を感じる。思想なきモノはただのモノでしかないのである。
電車の中でリカちゃんを取り出すのを我慢しつつ、そんなことを考えた。
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2004/10/28 「チルドレン」
伊坂幸太郎「チルドレン」を読む。悔しいけれど面白かったというのが正直な感想だろうか。
一話、一話完結していながらも著者が長編と称しているように、すべての話が繋がった長編だった。この繋がり方が伊坂流なのだろうか、非常にいい具合に繋がっている。「おおうそんな繋がりが!」と「かははーんそうきましたか」などとニヤニヤしながら読み通した。
文中のキャラ「陣内」に振り回されっぱなしだった。独特の思想、自分勝手で周りを巻き込み、そんなヤツいねぇーよというような男なのだが読み進めているうちに頭の中で彼が騒ぎ出すから不思議である。読み終えた後など、もう彼に会えないのかと思い少々寂しくなったりもした。
他の登場人物の描き方もなかなか良かった。それぞれ何かしら問題を抱えているのだが妙な力みもなく、淡々と日々の生活を過ごしている。
友人が「実は小説書いたんだ」といって、この本を渡されても不思議ではないくらいさらりと書いてあるように思う。そういうのって、最近のはやりなんでしょうかね。いやいや、読者であるボクがまだまだ若いっていう証拠かしらん。 |
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2004/10/27 「恋に落ちました」
来年の夏に着るアロハを注文した。早いと思われるかもしれないが、だいたい今ごろに来年のモデルが発表される。毎年1枚だけ買おうと心に決めているのだけれどここ数年はお気に入りのメーカーがかなり気合をいれて製作しているのであれもこれもと目移りして困りはてている。しかも、いいと思った瞬間に買っておかないとすぐに売り切れる。よくアロハのビンテージとか古着とか出回っているが何分生地が薄いため程度がよいのはほんの一握りなのである。つまり、「売り切れ=死ぬまで袖を通すことがない」ということになる。
だもんで、一目惚れしたら即、買うしかないのである。
昨晩は衝撃的な夜だった。冗談抜きに恋に落ちたシモムラだった。
例えば、好きなコがいたらどこへ遊びに行って、どんな会話して、どんな美味しいもの食べて、とあれやこれや想像するのだが同じようにアロハのことで頭がいっぱいになってしまった。
あまり外見とか服装にものすごいコリはないのだが相手がアロハとなると別である。
どんなパンツに合わせようか、どんな髪型にしようか、いやいやサンダルを新調すべきか、などなど。
そんなこんなで昨日は眠れなくていささか睡眠不足である。
こういうのをアロハ馬鹿と人は呼ぶのかもしれないが当人は幸せなのだからいいじゃないかと思う。
街行くバカップル達もあまりバカにできませんな。
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2004/10/26 「伝えるということ」
先日、いづし文化横丁の定例会議にとある学校の美術の先生が企画のプレゼンにやってきた。
生徒たちの作品を飾りたいということだった。詳細は秘密なのだが、そこにはいろいろな仕掛けがあって、なかなかいい企画になりそうだと思った。生徒のことをあんな風に思う先生がまだいたのかと思うと少々目頭が熱くなってしまった。
ふと考えたのだけれど、イベントが成功したというのは一体どういうことなのだろう?
確かに来場者の数は一つの指標になるだろうけれども、本当に大切なのは「表現したい人」がいて「それを感じる人」がいるということだと思う。それは人数などあまり関係なく、受け手に確実に届けば成功なのだと思う。
いづしに関わるようになって、「表現したい人」を間近でみる機会が増えた。今まであまりそういうことまで意識して作品をみたり、ライブに通ったりしてなかったけれども自分が楽しい時間を過ごしたと思った瞬間、作り手の想いも一緒に届いていたのでしょう。
しかし、想いを伝えるってのは、なんとも難しいことですね。 |
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2004/10/21 「邂逅の森」
熊谷達也の「邂逅の森」を読む。
明治から大正にかけて東北の村々を舞台にマタギである主人公の半生を描いた物語である。壮大な自然を背景に山村の生活やマタギの慣習などが細やかに描写されていた。タブーや言い伝えなど自分が子供の頃にかろうじて身近にあったものたちが当時いかに生活に根付いていたか、そして近代化によっていかに廃れていったのかよく分かり面白かった。
山よりも海に近いところで育ってきたので、山の怖さや山の優しさ、雄大さというようなことを肌で感じることがなかった。だからだろうが、そんなものたちに憧れがあって、読み進めていくうち止まらなくなってしまった。
この本は直木賞を受賞した作品だそうである。文学賞メッタ切りではないが、以前は賞なんか貰った本を読めるかってんだ!ってな具合だったのだけれども、最近はそんな作品も素直に楽しめるようになった。どこかで評価されるにはそれなりの理由があるってことです。
文中、森の中での様々な「邂逅」が描かれる。山の主である熊、初恋の人、妻や息子などとの出会いである。邂逅というと大げさだけれど、実は自分もささやかながらそんな出会いを日々繰り返しているのだろうなとも思った。 |
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2004/10/19 「末っ子だから」
最近、「末っ子だから」という言い訳をついつい口にしてしまう。
兄・姉がおり三人兄弟の3番目としてのほほんと育てられたため典型的(?)な末っ子体質になってしまった。飽きっぽいのも、熱中しやすいのも、一人がいいのも、それでいて寂しがり屋さんなのもすべて末っ子の”せい”なのである。
先週、地中美術館館長の秋元さんのお話を聴く機会があったのだが、常に前へ泳ぎ続ける姿に憧れつつも末っ子のボクちんじゃ真似するのはムリムリと思ってしまった。
こんなんじゃ、いかんですよね。少しも前へ進むことができん。
心のどこかでは、弟たちを気遣って我慢したりする頼れる兄ちゃんを目指したいのですよね。
いっそのこと「末っ子だから禁止令」ぐらいのことをしなければならないのでしょうか。末っ子だからという言い訳は今後使わないぐらいの覚悟が必要なのかと。
そんなことを考えつつも、目の前に食べ物があるとついつい食べてしまう。なんせ末っ子なんで。
は、早速、使ってしまった。
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2004/10/15 「朝の楽しみ 2」
通勤時の話をもう一つ。
毎朝、とある小学生とすれ違うのを楽しみにしている。5年生ぐらいの女のコで可愛らしい眼鏡をかけているコだ。肩まで伸びたストレートの髪をなびかせるようにキャッキャとはしゃいで登校している。
特段、ロリコンの気があるわけでもないし、眼鏡フェチでもない。念のため。
いつも、男の子数人と一緒に仲良さそうに歩いている。そのコの方が男の子達より背が高いので、まるで取り巻きを従えているように見える。
何が可愛いってうまく説明できんのだが、会うと必ずほんわかしてしまう。
自分が小学生なら、間違いなく恋に落ちていただろうし、あんな娘をもったら目も当てられんぐらい溺愛するだろう。
すれ違うたびに、小学生になったり父親になったりしてドキドキしている。何て平和なヤツなんだと我ながら思う。
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2004/10/13 「新しい物」
毎朝同じ時刻の電車に乗って決まった道順で職場へ通うため、だいたい同じ人たちとすれ違う。
駅から職場へ自転車でプラプラ向かっている途中、いつも自転車に二人乗りしたカップルに出会う。二人とも会社勤めのようで、小さい紙袋にいれた弁当らしきものを持っていて、もしかしらた夫婦ではなくて同棲してるのかしらんとか思わせたりする。後ろの荷台にちょこんと座って前で自転車を漕ぐ彼の腰あたりをきゅっと握る彼女の姿がほほ笑ましい気分にさせられる。
今日も、いつも通りいつもの場所ですれ違ったのだが少し様子が違った。
彼女が新しい自転車を買ったようで、な、な、なんと、二人ならんで自転車を漕いでいるではありませんか。
朝の楽しみを奪われたようでシュンとしてしまったけれど、ピカピカの真新しい自転車に乗る彼女は笑顔満面だった。本当に嬉しそうだったのでそれはそれですがすがしい気分にさせてもらった。
そういえば、私も新しいスニーカー履いており、ほほが緩んでいたかもしれない。
新しい物を使うのって照れ恥ずかしいながら嬉しいもんですよね。 |
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2004/10/07 「秋晴れ」
少々さぼっておりました。
いやいや、なんだかこう天気いいとチマチマ考えていることなんぞどうでもよくなりますね。
ヘルメットとか安全靴とかほっぽり出したい気分ですよ。
読書とかもりもりしているし、映画もボチボチ観てるし、面白い企画が進行中だったりネタはあるのですがイマイチ外に向かおうとしていません。内に向かって、一人で楽しんでほくそ笑んでいる感じでしょうか。
秋ですからね、何といっても。
一年のうちで、この時期が一番好きである。
澄んだ空が好きとか凛とした空気が好きとか、そんなロマンチシズムからではない。この時期ののんびりとした怠惰な雰囲気がいいのである。ゆるい空気につかめない天気(そう!女心級に)、そんなものが漂う秋がすばらしくいい。
実のところ、結構なナマケモノさんなのでやる気も起こらず、グダグダとするのが心地いい。そんな風にしてると知らない間に冬がきて、たちまち途方に暮れるのが分かっていてもついつい怠けてしまう。まさにキリギリス状態。少しはアリさん見習わないとね。
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2004/10/01 「すべてに意味がある」
学生の頃の話である。
何がきかっけなのか全くもって思い出せないのだけれども、一時期非常に怠惰に日々を送っていたことがある。授業にも行かず、友人の家で酒とタバコまみれでゲームをしたり、マンガをよんだり、目も当てられんぐらいゴロゴロしていた。
ある日、いつものように徹夜でサッカーゲームをした朝方、寝っころがって「こんなことばかりして、何やってんだろうね」なんてことをつぶやいたら、
この世に無駄な時間はない、すべてに意味があるんだ
というようなことをゴロゴロ仲間の友人が言った。
こんなことろ抜け出さなきゃと思いつつ、ずるずるぬるま湯につかっていて、そんな自分に嫌気がさしていたのだけけれども、その一言がきっかけでまともな生活に戻ることができた。
その友人は数年前に亡くなった。
だからかもしれないが、その後、人生の分かれ道で迷ってしまったとき必ずと言っていいほどその言葉を思い出した。その度に、迷いを打ち消し道を選ぶことができた。今、ここにこうしているのはあの言葉のおかげかもしれない。
昨日、人生の大きな選択をしようとしている若人に会った。迷っている風でもなかったが、そんな話をしてあげればよかったと思った。
「焦ることはない、君の選択はすべて意味をなすのだから」
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2004/09/28 「単純な楽しさ」
週末に猪熊弦一郎美術館へ「ワー!マイキーリターンズ!」を観に行く。マネキンを使ったショートフィルムなのだが、これまた非常にくだらなくていい感じ。休日の昼下がり、わざわざ瀬戸内海を渡って一体何やってんだろう?なんて思わされる。
で、次の日はすろおがでやってる「遊びの方向 ワンッゥツー展」を観に行く。昆虫を模した乗り物があったり、様々な形の石を置いて飛び石ができるようになっていたりで観るというよりは体感するといった展覧会だった。飛ぶとか跨いで遊ぶという行為自体久しぶりで、子供の頃と同じようにはしゃいでしまった。疲れて果てて遊ぶのをあきらめてしまうということだけを除いて。
「マイキ-」にしろ「遊びの方向」にしろ、楽しむということは結構単純なことなのだと思った。面白いとか楽しいとか、本当は頭で考えて理解するものではなくて、そういう場面になれば体がおのずと楽しいモードに入るものなのだろう。子供の頃はそりゃ毎日が楽しかった。よくよく考えてみると、今はさほどでもないような気がする。もう少し頭のネジゆるめて、心を開いて、肩の力抜いてもいいのかもしれない。リラックス・オープン・エンジョイ!ですな。
いづしのスペースは、アートの敷居を低くしたいねっていうコンセプトもあったりするのだが、もっともっと単純に”楽しい”を追求してもいいのかもしれない。 |
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2004/09/26 「イソップ〜!」
聞いた話なんで詳しいことはわからないのだが、昔の大映系のドラマがセットでDVD化されるらしいじゃないですか!「スチワーデス物語」「少女に何が起こったか」「不良少女と呼ばれて」「ポニーテールは振り向かない」挙げればいくらでもでてくるが、当時小学生だった自分はこれらのドラマに首ったけだった。
ドラマを観て、即座にセリフを覚えて姉と二人で”ごっこ”をよくしていたものだ。ある時は、風間杜夫。ある時は、石立鉄男。ある時は、国広冨之だったり松村雄基だったり。当時は、ビデオなんてなかったので、セリフは一瞬で憶えなければならなかった。勉強には頭を使わず、そんなことばかり集中していた。
そういえば、最近はセリフを覚えさせるようなドラマがないですね。ドラマ自体が面白くなくなったのか、自分が大人になってしまったからなのかどちらかわかりませんが。とんでもない設定にとんでもない展開、心底憎らしい敵役、あの頃のドラマには全て揃っていたように思う。
「12時過ぎた薄汚ねぇシンデレラ」にピンときた方は買いですね、そのDVD。 |
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2004/09/22 「ジャージの二人」
長嶋有の「ジャージの二人」を読む。
この人の小説の面白いところは、登場人物のほどよい関係とその距離感だと思う。親と子であったり、兄弟であったり、30過ぎの自分と隣の家の女のコであったり。どれもありそうでない距離感を保ちつつ、たんたんと話が進む。で、それらを彩る小物たち。本作では、ジャージだったり漫画だったりするのだが、これらがまたいい具合に展開を緩やかにしている。長嶋有は、かなりの漫画オタクとみた。大野級に。
後半、実はジャージが3人に増える。それこそがこの話の根底に流れていた主人公の気持ちに繋がっていくのだが、どこにも消化されることなく物語は終わる。ああいった終わり方にできるのも、長嶋さんの力量なのだろうと思う。
中学校とか高校で着ていたジャージが着たくなるような小説でした。
まずは、井川遥も読んだ「猛スピードで母は」をオススメします。 |
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2004/09/18 「輝くためには」
昨日、いづしで行われている演劇「魔女の猫探し」を観た。演劇を観るのは久しぶりだ。演じる者と観る者の距離が近いので、なんだか教室内が一体となって話がすすんだ。話の内容もさることながら、空間を見事に切り取る演出。面白かった。上演後の出演者のすがすがしい顔も良かった。
しかし、普段見ているあの旧理科室のスペースがこんな雰囲気になってしまうとは・・・。改めて、この空間には、いろいろな可能性が秘められていることに気づく。明日まで公演してますので興味のある方はゼヒゼヒ。
観劇後、パワフルな女性達とラーメン食いに行く。皆、それぞれ自分の居場所でがんばっていて、それらの話は、苦労話や愚痴だったりするのだけれども、本当に楽しそうだった。年を取っても(失礼!)、もとい、いつまでもそうやって輝き続けている様が非常にまぶしく、うらやましかった。
今日は、一日かけて輝く人たちをたくさん見てしまった。最近いけてない自分のことばかり考えていたので少々へこんでしまったが、ジジイになっても輝けるよう楽しく生きてやろうと誓った。
こうなりゃ、ハーレーと皮ジャン買うしかねぇーな。 |
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2004/09/17 「それでも歩く」
ここんとこ、あまりにも頭を使っていないことに気付く。
仕事していてもボケーっとしているし、家にいてもゴロゴロするばかり。電車では妄想にふけるし、そのくせあまり夢を見ない。コリャ、いかんですな。
春の暖かさにうかれ、夏のアロハで無敵になり、秋の寂しさに腑抜けなり、冬の寒さにひっそり小さくなる。
そんな一年がパターン化してしまったようだ。螺旋階段のように少しづつ上へ上へと向かえばいいのだが、同じところをグルグルしているだけである。こんなんじゃ、バターにさえなることができない。
しかし、それでも歩くしかないのである。
その先に何があるのか分からないが、一歩一歩、確実に。
「大丈夫、その先には幸せが待っているのよ!」 (演劇口調で) |
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2004/09/14 「いよいよ到来」
ラジオをつける。
なまりのある男がしきりに掃除機を宣伝している。
「奥さん、この掃除機 すごいんですよ。秘密は、このサイクロン!」
「とにかく何でも吸い込むのです。」
よもや、この悲しみまでも吸うことはできまい。
センチメンタル・オブ・オータムの到来です。
案外、そういうの好きだったりするのですがね。
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2004/09/12 「aikoの新曲」
aikoの新曲のビデオクリップを観る。なーんだ、aikoカワイイじゃん。
その昔、もしコンパにaikoが来たら口説くかどうかって友人と激論交わしたことがある。そのときは口説かないと力説していたが、2次会でカラオケ歌うの聞いたら口説くかもしらん。
「君、歌上手いね。」とか言って。
荻野くん、ゴメン。オイラも結構、妄想してました。 |
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2004/09/10 「読書の秋です」
実は、村上春樹とはちょっとした知り合いで、「春樹さん」「シモムラくん」と呼び合う仲なのだが。
ウソです。
村上春樹の「アフターダーク」を読む。
何なんでしょうねこの読後感。いつもは、うぉー読んだぜぃってな感じになるのだが、今回はなんだか少し肩透かし。マンネリを好むタイプなんで本作のように徐々に違う方向へ向かいつつあるものには少し馴染まないのかもしれない。人は色々なものを損ないながら生きていくしかないってな世界観が好きだったのだが、今回は少し趣向が違う。姉妹の関係も希薄な感じ。でも、面白かった。まさしく”夜”の小説でした。
文中には、たくさんの曲が流れていて、ジャズとかあまり詳しくないのでいつも苦い思いをする。
だれか、それらの曲集めてアルバム作らんだろうか。耳でたどる村上春樹〜ノルウェイの森編〜とかいって。
とうとう、スガシカオも登場してくるぐらいになってきたし。そういうのもいいかも。 |
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2004/09/08 「夏の終わりに」
台風で更にワラワラしていたのでやっと本日、アロハシャツの洗濯をした。なぜかわからないのだが毎年一枚アロハを買うことにしていて、決まって4月29日に着始めることにしている。夏の間、たいがいアロハを着続けて8月の31日に着納めをする。そういう夏を過ごし始めて、8年目を迎えた。
大体、夏の終わりは恋の終わり的(?)な夏を過ごしているので、いつも9月の初めに行うアロハの洗濯はブルーな感じで行うのだが、今年はあれよあれよと夏が過ぎてしまったため、さっさと済ませてしまった。そりゃもう、鼻歌交じりに洗いきってしまいましたよ。
確かに考えさせられることばかりの夏だったが、それはそれでよかったのかもしれない。違う意味で一回り大きくなったような気がする。
そんなこんなで、夏は終わって秋がやってくる。実り多い秋になればいいのだが。 |
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2004/09/07 「こんなはずでは」
昨日は、十年来の友人とメシを食いに行く。遠く離れたところに住んでいるため年に数回しか会わないのだが、会うとその離れていた時間など関係ないぐらいしゃべり込む。私は、普段言葉少なくおとなしいのだが、酒を飲むと陽気な人になる。が、昨日は飲みすぎたのか少しだけ泣いてしまった。心のスミっちょを突付かれてしまった。ソフトタッチで。
付き合いが長いぶん、手に取るようにわかるらしい。まあ、幾分かすっきりしたのか、目覚めは良かったッス。
そういう友情っていいもんですね。ホント。
しかし、一年ぶりぐらいに会っておいて、いきなり「もみあげ長ぇ〜」はねえだろうよ。
まあ、たしかに長いけれども。 |
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2004/09/05 「さらにクタクタ」
週末は、ずっと台風の後片付けだった。幸い自宅への浸水は免れたのだが庭と物置はどっぷり浸かってしまったのでひたすら掃除した。自宅は海に近いため、海草とか蟹とかがうようよ打ち上げられているし、とにかく磯臭い。もうすこし早ければ、とっ捕まえてドヨヨイチでカニ釣りするところであったのに。近所の床上浸水した家に比べれば大したことではないが、なんだか気が滅入る。
ひと段落したところで、近所の世話になっている森染工のおばさんのところへ助っ人に行く。ボランティアの方々もたくさん来ていて、ホントに助かった。途方に暮れていても、元気づけられますね。
夕方、町の方へ買い物に行ったのだが、とにかく廻りはトラックだらけ。自衛隊のものものしいのから、土建屋のダンプ、軽トラ。。皆、ゴミを満載している。改めて災害の傷跡を目の当たりにした。
駅に向かうボランティア帰りらしき人々とすれ違う。なんとまあ、すがすがしい笑顔で歩いていることか。
本当にご苦労さまでした。 |
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2004/08/31 「もうクタクタ」
昨晩の台風は、すごかった。風はびゅうびゅう吹くし、雨はたたきつける様に降るし、その上ちょうど大潮と重なって近所の川はあふれんばかりでした。
深夜、ずぶ濡れになりながら土嚢を川べりに積むも、決壊。家に帰ると雨漏りがひどいことになっているし、倉庫は水に浸かるしでとんでもない一晩でした。唐琴4丁目は、朝方まで陸の孤島と化しておりました。
しかも、昨日は、4回も風呂に入りましたよ。
まったくしずかちゃんじゃねぇーんだからよう!
みなさんのお家は無事だったでしょうか?
ちなみに、隣の森広さん家には、朝、玄関開けたら目の前にボートが流れ着いていたそうです。
ありえない、ありえない。 |
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2004/08/29 「素晴らしき絵本の世界」
今日は、おかやま絵本原画祭へ行ってきた。
降矢ななさんの作品は初めて見たのだが、画用紙の中に伸び伸びと描かれた絵は見ていて非常に爽快だった。青はどこまでも遠い空で、黒はどこまでも深い黒で、黄色はどこまでも温かい日の光だった。
そういえば、自分も子供のころは、たくさん絵本を読んでもらった。ページをめくるたびに色々な世界が広がっていて、お気に入りの本はぼろぼろになるまで読んでいたっけなあ。
家に帰って、本棚をひっくりかえしてかつて読んでいた絵本をしばし見入ってしまった。案外、セリフとか憶えているもんで絵をみるとついつい口に出ていた。「まあ、ぼちぼちいこか」ってな具合。
昔見ていたテレビの話って人とするけど、昔読んでいた絵本の話ってあまりしないよな・・。
それにしても、頭にケーキ乗っけて友を祝うノー天気なキツネの絵には笑った。
夢に出てくるやもしれん。 |
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2004/08/25 「いったいどこに?」
「ボクは、白でもなく黒でもないのです!」
仕事帰りに「すろおが」に寄って、三宅航太郎展「エバステル」を見た。
底抜けにくだらなくて、底抜けに面白くて、底抜けに悲しくて、それでいて底抜けに温かかった。
鑑賞者も参加できるようになっていたが、あれらにかなう物を生み出すことができん。
一体、どこに丸をすればいいというのだろう。
その後、いづしでウダウダする。フロイトからヤマハ音楽教室まで、幅広い雑談をする。
個人的には、おいしい牛乳=冷たい牛乳ではない気がする。
おいしい牛乳が飲みたければ、海で船を漕げ!ってな感じ。(赤白帽着用)
’苦しいけど楽しい’に一歩踏み出せないのは、お気楽でいたいからだろうか?
帰りの電車でふと思う、
一体、どこに向かえばいいのだろう。 |
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2004/08/24 「中身で勝負」
そういえばこの前、丸亀の猪熊弦一郎美術館でやっているヤナギミワの展覧会へ行ってきた。
彼女の作品を見るのは初めてではなかったけれども、個展としては初めてだった。実のところ今まで彼女の作品がどうして評価されているのかイマイチわからなかったのだが、今回じっくり見ることでだいぶ印象が変わった。
若い彼氏のまたがるバイクに乗ってアメリカ大陸を疾走する老女、ジェット飛行機を操る老女、子供達の未来を占う老女、どの老女も死を前にしながらもしっかり生きているように見えた。中でも印象に残ったのは、自分の体は自分で作るのだといって、若い肉体を作っている老女の作品だ。このまま作り続けるのかどうしようかと手を止めているところなのだが、その憂い気な表情は、生きるのに疲れたからなのか老いた体を受け入れる心を決めたからなのかどうかわからないが、その作品にただよう静謐感が良かった。
美術館を設計したのは、谷口吉生という人なのだが、顔はいかついのにものすごくやさしい空間を作る。好きな建築家の一人なのだが、行くたびにやっぱ顔じゃないのねっていつも思わされる。
やさしい光、たおやかな空間、そんなものを「身」につけたいものである。
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2004/08/22 「盆踊り」
昨日は、いづしにて町内の盆踊りとあわせての企画「ドヨヨイチ」があった。
おかげさまで大盛況で、メンバーもしっかり楽しんだようだ。
盆踊りには縁遠いような若い人たちが見にきてくれていたし、何よりも地域の人々が文化横丁をのぞきに来てくれたので本当によかったと思う。少しは、文化横丁の名前も売れたかしらん?
ザリガニ釣りに必死になっている子供達を見ていると、かつて自分が過ごしていた夏の風景を思い出し懐かしくもあった。そういえば、自分もあんな風に駄々こねて困らせていたなって。
この学校はなくなってしまうわけだが、何を残し、何を伝えていくべきなのか地域の人々が一番わかっていることなのだろうなあってことも思った。来年も、その次もあの提灯の元で人々が踊っていて欲しいと切に願うのみである。それまでには踊りをマスターしておきます!
いろいろな意味で、実り多い盆踊りであった。 |
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2004/08/19 「ありゃりゃ」
昨日、家に帰ると自分の部屋が水浸しになっていた。
いつも窓を開けっ放しにして出かけるのだが、どうやらかなり強い風で雨が吹き込んだらしい。絨毯がグジュグジュになっていた。ひょんなことから、TVを全く見ない生活リズムになっていたので台風が近づいていたなんてツユ知らずだった。
以前は、1週間がドラマで過ぎていた。月9に始まり、金ドラ、大河があって日劇、そして情熱大陸見て、やる気マンマンになって布団に入るってな日々だった。加えて、野球・サッカー・古館に筑紫と、ずっとTVはつけっぱなしだった。
最近では、オリンピックの開会式をかろうじて見たぐらいで、TVなんぞ見なくともなんとかなるもんだなんて思っていた。しかし、ふと、台風が近づいているのを知らなかったように、アテネで繰り広げられているドラマチックな闘いを知らずして死んでいかなければならないのかと思うと少々惜しくなった。
職場の先輩から借りていた、これまたヒタヒタになったランドローバーマガジン(一年分)を前に、そんなことを思った。
いやいや、こりゃ借り逃げしかねぇーな。
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